若者の主張
激しい学生運動が行われていた時代、その動機の純粋さ、価値追求のひたむきさのゆえに、自分たちが鎮圧され逮捕されることがわかっていても、殉教者のように敢然とそれにたち向かっていくのです。
彼らのはげしい行動が批判されながらも、なお多くの一般学生の共感をよぶということは、彼らのあまりにも青年的な行動が一般学生の青年性に共鳴を与えるからでしょう。
それに対して民青が、一般の学生からあまりよくみられないのは、現実に可能な範囲で彼らの要求をかちとっていこうという民青のいき方を、一般学生は狡猜、老檜、陰険と感じ、青年らしくないと感じるからではないでしょうか。
・・・・ところで、ゲバ学生に代表されるこのような青年の考え方や行動は、なにも現代の青年だけにかぎられるものではありません。
たとえば、ドストエフスキーの小説『罪と罰』のなかで、社会の不正をのぞき、新たな道徳を樹立するためには、これを行なうえらばれた非凡人にとって、あらゆる手段が許され、法律をも超越する権利があると考えて、敢然と金貸しの老婆を殺す大学生ラスコルニコフもそうです。
また、明治維新の原動力となった青年志士たちも、やはりこれらの青年たちと同様にはげしい考え方や行動を示しています。